カレンダー
FRANCE
ネコをクリックしてね
JAPON
ネコをクリックしてね
為替
プロフィール
HN:
さっきー
年齢:
44
性別:
女性
誕生日:
1980/10/18
職業:
フリーター
趣味:
いろいろ
自己紹介:
2008年度のワーキングホリデーで渡仏を計画中。
元パティシエール、現なんちゃって料理人。 音楽好き、ライブ好き、マンガ大好き。 オタク臭プンプンです。
カテゴリー
最新トラックバック
最新コメント
カウンター
アクセス解析
ブログ内検索
|
[PR]
2024/11/27(Wed) 11:31:55
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Hの話。
2009/04/29(Wed) 05:30:59
別にエロい話じゃないです。
全く用をなさないのに、Hが含まれる単語は結構多い。 発音しないなら書かなくていいじゃん、と思ってしまう日本人。
そんなわけで、フランス人の世界には「は・ひ・ふ・へ・ほ」という音が存在しない。 音そのものが存在しないのだから、もちろん発音することもできない。
「違う!アクションじゃない!ハクション!'ハ'!」といっても、全然わかってくれない。
ポエムについて話してた時、「日本には'アイク'があるでしょ」と言われた。
以前にバイクの話をしていたときに「アヤブザってどうやって書くの?」と聞かれた。 こうやってみると簡単に気付きそうだけど、Hが発音されてないだじゃなく、Sの発音がZの音になっただけで全く違う印象を受ける。
ああ、Hの話に戻るけど、フランス人が「ハローキティ」と言うと、わたしは「エロキティ」にしか聞こえない。 あ、エロい話になった。
PR
最終週
2009/04/28(Tue) 06:39:23
ここで生活を始めてからいつの間にか1ヶ月以上が経ち、残りの滞在期間も1週間となった。
ここでの生活はすごくわたしに合ってたと思う。 そんな人たちと離れるのはさみしい。 そして何よりも野菜たちの成長を見守っていきたかった。
しかし次のウーフ先はここに来る前から決まっていたのだ。
先週戻ってくるのかと思ってたら、今日帰ってきたもう一人のウーファー、ベン。
今日は1日ほぼ雨で、外でできる作業があんまりなかった。 そんなわけで屋内作業。 ベンに触発されて、わたしも食料品の整理。 買い物にはセバスか従業員?のサムが行くのだが、2人とも細かいことは気にしないタイプ。 とりあえずほとんどの物を透明な瓶に詰め替えたので、これで少しはましになるだろう…。
自制心が弱々なので、こういう自由なところで生活しているとどこまでも自堕落になってしまう。 それでも何とか踏みとどまるために、キッチン周りはなるべくきれいにするよう心がけている。
ベンがいるなら大丈夫でしょう! わはは!
自然農法 その2
2009/04/27(Mon) 16:58:58
自然農法の存在を知って、初めてセバスのやりたいことがわかったような気がする。
セバスの理想は自然農法なんだ。 ただ不精で雑草を抜かないのかと思ってたけど、そういうわけじゃない。 わたしはセバスの望まぬことをしていたのだ。 わたしはもっと早く福岡氏について調べるべきだった。 ここは自然農法を行っている農家ではない。 トラクターで畑を耕すし、雑草が伸びすぎれば除去するし、ビニールハウスもある。 自然農法を理想としながらも何かしらの理由でそれを行っていない。 どういう理由なのかわたしにはわからない。 わたしは農業について知らなさすぎる。 それでもわたしは頭のどこかで、自然のままにしておくのがベストなんじゃないかと気づいていた気がする。 ここに来てすぐぐらいに、畑に植わっているサラダの周りの雑草を除去したことがある。 まだ育ちきっていないサラダは雑草に埋まってしまいそうだった。 みんなで専用の道具を使ってやり、サラダの周りにはほとんど雑草はない状態になった。 それから約1ヶ月、再びサラダの周辺は雑草で埋め尽くされている。 雑草は成長が速い。 それでもサラダもかなり大きくなり、雑草に負かされてない。 何日も夏日が続いて土がカチカチになってても、瑞々しく青々と成長している。 雑草と一緒に。 それを見てぼんやりと、「植物は放っておいても元気に育つんだな」と思った。 自然農法を知る前のことだ。 それなのにビニールハウスの中で育っているサラダたちは2日に1度、人間の手で水をやらなければならない。 そして、そのサラダたちはかなりナメクジの被害を受けている。 どのサラダも虫食いの跡が無数にある。 ビニールハウスの外でもナメクジを見たことがあるけど、外のサラダたちに虫食いの跡はほとんどない。 隣り合った同じ大地に根をおろしているとはいえ、ビニールハウスの中は既に自然とはいえない空間になってしまっているのだ。 そしてサフランの周りの雑草を抜いたとき。 サフランの葉はとても細い。 気をつけて雑草を抜いていても一緒に引っ張られてしまうことが何度もあった。 そうなると、それまでピンと立っていた葉もヘナッと項垂れてしまう。 「これはサフランにかなり負担をかけているんじゃないか?」と思った。 まさにその通り。 数日経った今も、何本も項垂れたままだ…。 セバスに言われてやった仕事だけれど、彼は特に急いでいるわけではなかった。 「やりたければやればいいよ」と。 いつかは除去するつもりだったんだろうけど、べつに今じゃなくてもいいという雰囲気だった。 暇そうにしているわたしに仕事をくれたのかもしれない。 自然農法では何故雑草を抜かないのか。 わたしが思ったように、雑草を抜くことによって植物にかなりのダメージを与えてしまう。 それまでと全く違う環境になってしまうのだから当たり前。 そして何年も雑草を抜き続けていくと、そのうちその場所には雑草は生えなくなる。 それはいいことのように感じるけど、つまりそこは植物が生きるには適さない場所になってしまっているのだ。 そして植物がないところは、圧倒的に土に保水力がない。 セバスは必要なら雑草を除去するけど、雑草が全くない状態にはしない。 基本伸ばしっ放し。 それにだってちゃんと意味があったのだ。 サフランは秋に花をつける。 花からめしべを採取し、乾燥させたものを料理の色付けなんかに使う。 乾燥した土の中で項垂れているサフランを見ると、秋まで放置していてもよかったんじゃないかと思ってしまう。 雑草に埋もれていても元気にまっすぐ立っていたのに。 何故畑を耕さないのか。 地中深くの土は植物が育つには適さないから。 何故肥料をやらないのか。 あえて肥料を与えなくても、植物は地中から十分栄養を摂取できる。 枯れた雑草や落ち葉なんかが自然分解し、ちゃんと栄養は土の中にある。 そして人間が外からなにかを持ち込めば、それだけリスクは増える。 何故農薬を使わないのか。 本来正常に育つ野菜に虫は付かない。 虫が付かないのなら農薬を使う必要はない。 虫が付くのは原因ではなく、結果である。 その野菜はすでに何かしら問題を抱えているのだ。 何故雑草を抜かないのか。 雑草も植物の、自然の一部。 雑草も育たない処で野菜が育つわけはない。 究極の自然農法とは、種を蒔き、実がつけば収穫する、それだけ。 なるべく人の手は加えず、あくまで自然に任せる。 本来なら、それで十分なのだ。 それなのに何故ほとんどの農家はこれをやらないのか。 あえていろんなことを施し、その分労働力も増え、農業を辛いものにしているのか。 言うほど簡単なことではないってちゃんとわかっている。 福岡氏も、肥料を使い、農薬の散布も行っていたそうだ。 人がやることにだってちゃんと意味と理由があるんだって知っている。 それでも自然農法が一番よい方法なんだと、雑草の中のサラダを見ると思ってしまう。 わたしは今、かなり本気で農業をやってみたいと思っている。 はじめから自然農法だけでやるのではなく、あえていろんなことを試し、それでもなお自然農法が一番なんだと言いたい。 そしてここに来て初めて、WWOOFの本当の意味を知った。 わたしがWWOOFを始めたのは、お金をかけなくて生活できるというところに魅力を感じたからだ。 別に農業やオーガニックな生活に興味があったわけではない。 あくまで、「お金がなくてもフランスに滞在する方法の一つ」としか見ていなかった。 ここでセバス達にたくさんのことを教わったわけではない。 セバスは基本放置の人だ。 仕事の指示を与えられたことはあまりない。 時間の余ったわたしは畑を歩きまわった。 間違いだと知らず雑草も抜いて回った。 それでもその時は自分で考え、それが最善だと信じてやったことだ。 自分で考えたことが間違ったことだったからこそ、今強く自然農法に共感している。 そもそも、セバスがあれこれ指示を与えていれば、わたしは自分から農業について調べようとはしなかっただろう。 セバスは指示は与えてくれなかったけど、指標は与えてくれた。 これこそが本当のWWOOFなんじゃないだろうかと今は思う。
自然農法 その1
2009/04/26(Sun) 07:45:40
ここに来てそれほど経たない頃に、セバスに「フクオカって知ってる?」と尋ねられた。
フクオカとは九州にある大都市のことでしょうか?と思ったら、どうも人名らしい。 「フクオカは農業のことをよく知ってて、本もいっぱい書いてるんだよ」とのこと。 農業について学びたいなら調べてみるといいよ、とも。 しかしそんなことすっかり忘れていたわたし。 その後、「フクオカについて調べた?」とセバスに聞かれるまで思い出しもしなかった。 が、その後もやっぱり放置。 数日前に何となく思いだし、なんとなく調べてみた。 セバスはマサモト・フクオカと言ったが、正しくは福岡正信。 福岡氏は自然農法の創始者らしい。 自然農法とは、「不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草を特徴とする」農法のこと。 最初これを見た時、全く意味が分からなかった。 耕さなければ植物は植えられないし、肥料がなければ植物は肥えないし、無農薬は分かるけど雑草を抜かないなんてせっかく植えた植物が台無しじゃない!と思ったのだ。 そんなんで農業が成り立つのか、と。 福岡氏について調べていると、ある人のサイトに行きついた。 自然農法に基づき、野菜作りを行ってきた人の記録だった。 その人は最初は特に自然農法を実施しようと思って野菜作りを始めたのではなかった。 初めの頃は普通に畑を耕し、肥料をやり、虫がつけば農薬を使い、雑草も抜いていた。 もともとは農業に関しては素人の人で、試行錯誤しながらの野菜作り。 問題に行き詰るといろんなことを試しながら長年野菜を作り続けていった。 そして最終的に自然農法が一番よい方法なのだと気づいたらしい。 その人は驚くことを書いていた。 虫がつけば農薬を使い、次の年は虫がつくことを恐れ、虫が現れる前から農薬を散布していた。 それでも虫は現れ、野菜を台無しにしていく。 ある年、思い切って農薬を使うのをやめてみた。 そうしたらなぜか虫の被害がほとんどなかったらしい。 これはどういうことなのか。 わたしは福岡氏の著書を読んだわけではない。 まだそれほど調べているわけでもないので、自然農法についての知識というか、解釈はこの人の記録がほぼ全てになる。 この人自身の解釈も含められていると思うので、正しく「福岡氏の自然農法」を知っているわけではない。 それでも、ものすごく納得というか、そういうことなのかと強く共感した。 自然界の生き物は、自分が食べる物の食べごろというものを知っているらしい。 本当ならばよく熟し、一番おいしい時に食べる。 それなのにまだ熟していない野菜に虫が付くのはどういうことなのか。 それは野菜自身に問題があり、ほぼ死に瀕している状態だからだというのだ。 農薬を使われた野菜は、たとえ健康に見えても既に正常な状態とはいえない。 もし正常なら熟していない時に虫がつくはずはない。 農薬を使わなかった年に虫害がなかったのは、きちんと正常に野菜が育ち虫はまだ食べころだと思わなかった。 そういうことらしい。 自然農法とはまさに字そのままで、自然に任せるということ。 「不耕起、無肥料、無農薬、無除草」とは、そんなことしなくても植物はちゃんと育つ、と福岡氏は言っているのだ。 人が手を出せば、その時点ですでに「自然」ではなくなっている。 人が手を加えれば加えるほどリスクは増し、問題は後から後から出てくる。 それを解決するためにさらに何かを施し、どんどん「自然」とは遠く離れたものになってしまう。 化学肥料や農薬を使うことだけが「自然」を破壊しているのではない。 人間が植物の為にと思って何かを施すことさえ、「自然」ではなくならせているのだ。 植物とは自然の一部であって、自然とは人間が何かを為さなくてもきちんと循環していくものなのだ。 長いので、つづく。
理科の実験
2009/04/26(Sun) 06:34:53
キャラバンには穀物類がたくさんある。 |